やじまのちょっとひとこと


リクルートキャリア(以下、リクナビと略す)が就活生の内定辞退率を大手企業に販売した問題の発生原因の一つに、企業側の内定辞退に対する危機感が非常に大きいことがある。
企業規模の大小を問わず「優秀な学生の確保が採用担当者の使命」であると信じているからこその話だが、うがった見方をすれば優秀な人材が優秀な幹部社員に成長するとは限らないのだから、日本を代表する超大手企業がそこまでして採用に心血を注ぐのは、何故なのかと疑問を感じる。
自社に魅力が足りないと思っているのか、就活生に対して十分なアピールができていないと感じているのか、はたまた採用担当者の能力が乏しいのか、この事件からはそんなことを思わざるを得ない。

また、販売側のリクナビも企業倫理に悖る恐れのある裏技を使ってまでも、営業担当者の売上目標は達成しなければならないものなのか。
力が足りず同業他社に顧客を奪われる危機感を抱いていたのだろうか、そんなことを感じている。

今回の『リクナビ内定辞退率問題』は、急な登場で少々荒っぽいスタートをしたたことによる所謂「齟齬」であって、その実態は新たな採用方法のひとつなのだと思う。
応募者に対して様々な側面から観察し面談を重ね、採用担当者の力量で採否を決定してきた従来からの方法に新しいツール【AI】を組み込んでさらに確度を高めようとする試みは時代の流れで止められないと思う。
しかし、それを加えても採用のマンパワーを減らし、あるいは採用担当者の能力に左右されない完璧な採用は出来ないだろうと思っている。


リクルートキャリア(以下、リクナビと略す)が就活生の内定辞退率を大手企業に販売した問題は、日経新聞が8月に一面報道してから2カ月が経とうとしている。
30年以上労務に携わってきた一人として大変重大な問題だと思うのだが、新聞やテレビでの報道はすこぶる低調な気がする。
問題視される企業が双方ともに日本を代表する大企業であり、とりわけ広告料では超上得意先ばかりだから、一般国民に正しい情報を知らせる『ペンは剣よりも・・・』という報道の役割も、つい忘れたくなるのかもしれない。
情報が少ないので私が勘違いしているかもしれないが、今回はこの問題の発生原因に遡って考えてみたい。

さて、リクナビが「内定辞退率」という商品を提供出来たとしても、それを買う相手がいなければ市場は成立しない。
噂ではあるが今回のサービスの値段は400~500万円程度と言われているところをみると、『需要と供給』はバランスし価格は成立していたようである。
無論、名前の挙がった日本を代表する超大手企業(※38社程度と言われる)では、400~500万円は採用担当者が稟議書を書いて決済を仰がなければならない金額ではないし、リクナビにしても、今回のサービスによる売り上げは、トップの謝罪会見を伴うリスクに見合うものとは思えない。

つまり、売り手も買い手も『少額』であったがゆえに十分な検討もせず、担当者間の話し合い程度で始まったことだったのかもしれない。

今回の事件は、提供者である就活生たちの様々なデータが、リクナビのAIによって「内定辞退率」という形に算出され、彼らが就職を検討していた企業に内緒で売られていたことを知らされていなかったという話である。
売り手も買い手も冷静な視点で眺めて見れば、会社の信用信頼に傷をつけてしまう大きなリスクの存在に気付くことが出来ただろうと思う。

(以下、12月号に続く)


経営の三要素とは「人、物、金」ですが、最近では「情報」を加えて4要素とも言われます。
では、「経営者にとって一番大切な資源」とはいったい何だと思いますか。

経営者という言葉を「私の人生」と言い換えてみると「私の人生にとって一番大切な資源」となります。
つまり、人が生きていくときに一番大切な資源とは何なのか、私が先日読んだ本には「それは時間」と書かれていました。

この言葉を20歳代に聞かされても、私には感じるところは無かっただろうと思うのですが、60歳を超えた今は『確かに・・・』と納得してしまいます。
時間に対する感じ方は年齢によって異なるのだそうで(※これは「チコちゃん」が教えてくれましたが・・・)一年が過ぎるのを子供は長く感じ、年を重ねると早く感じるのは、多くの人に共通のことだそうです。

さてその本には、経営に携わる人は『とにかく忙しい』のが当たり前、従って「自分でやらなければならないこと」と「他の人に任せられること」を峻別し、自分がやらなければならないことに専念することが、経営にとってすごく大事なことだと書かれていました。
そこまで読んで『果たして今の私は「自分がやらなければならないこと」と「他人に任せられること」を峻別しているのか』と、思考停止してしまいました。

私たち社労士の仕事の多くは、お客様からのアウトソーシングの受託なのですが、それを生業とする社労士なのに最善の効率を図るべく『人に任せる』ことを常に考えているのか、悩ましい限りです。


8月19日の日経新聞の『こころの健康学』の記事中に、筆者の大野裕さんがこんな素敵な一文を示してくれています。以下原文を一部(※〇〇町の部分のみ)変えてご紹介します。

私たちが何かをするとき、「うまくいかなかったらどうしよう」と考えて心配しているときよりも「うまくいけばどうなるだろう」と前向きに考えたときの方が、成功する確率がずっと高いことが分かっている。
〇〇町の活動が成功しているのは、うまくいったときのビジョンをきちんと持ちながら活動しているからだ。

正確ではありませんが、社労士がお会いする経営者の方々が悩んでいることの5割以上は、この「うまくいかなかったらどうしよう」に起因していると直感的に思っています。
記事の中で大野さんは

「うまくいけばどうなるだろう」と前向きに考えたときの方が、成功する確率がずっと高い

とポジティブシンキングの有効性を書き記しています。
もちろん、どの経営者も悩みをクリアするための対処はされており、多くの手段やツールの中から常に最善の選択ができるのが理想なのですが、世の中に【最善策】とシールが貼ってあるものはありませんので、あれこれ迷ったり、「エェーイ!!」と決め打ちしてみたりと苦労されています。

さて、選択肢の一つに「社労士と話をしてみる」機会を入れて戴きたいと思うのですが、その際は、「うまくいったときのビジョンを描いていただける」ことを私たちは心掛けなければいけないと今回勉強しました。


芸能を生業とする大きな事務所の所業が話題になっています。
その中で私が気になっているのは、大阪のお笑い系ではなく、多くの若手タレントを抱える事務所を『公正取引委員会』が【注意】したという話。
毎日新聞のWeb版はこんな書き方をしていました。

民放テレビ局幹部は、今年初めごろに公取委から調査を受けたことを認める一方、「ジャニーズ事務所から明確な圧力を受けたとは聞いていない。
ただ制作側が過剰にそんたくする構図はあったかもしれない」と話した。

私の知る限り、日本の主要な民間放送会社は、ほとんどが大手新聞社の系列です。
新聞社と言えば【ペンは剣よりも強し】が看板のはず、なのにその系列会社である放送会社が、一民間企業の偏った意向に隷属していたのではないかと『公正取引委員会』に【注意】されたのですから、親である新聞社は何等かの対処、もしくは申し開きすべきではないでしょうか。
無論、関係する会社の方々はみんな立派な大人だから、後から指摘され、あるいは責任を問われるような「証拠」や「記録」を残してはいないと思います。
しかし、何もないのに『公正取引委員会』が、わざわざ【注意】することありえません。

忖度(そんたく)という言葉は2年前の2017年に森友・加計問題についての新聞やテレビの報道で多用されたことで流行語となり国民に広く知れ渡りました。
今回、芸能事務所への対応の過程に放送局側の過剰な忖度があったのかなかったのか、新聞社には調べて報告する責任があるのではないでしょうか。


5月17日、東京農業大学で開催された【日本農業労災学会】のシンポジウムに参加、5月29日には京都の龍谷大学深草キャンパスで開催された【過労死防止学会】に参加してきました。

詳しい方は少ないと思いますが、実は農作業中の死亡者は全国で毎年300名を超えています。

尤も農業は自営や規模の小さなところが多いために、事故に遭った本人が“労働者”とは限らないので、そのままで他業種と労災件数の比較はできませんが、毎年多くの方が農作業中に亡くなる状況が長く続いています。
また、過労死につきましても、その死亡の原因が仕事によるものなのか、仕事に関係していないのか、その判断について争われることが多いので、「仕事による死亡」と断定できる件数の把握は難しいと思います。

さて、農作業中の事故あるいは過労死について、事故防止のための最善最強の対策がとられてきたのでしょうか。

「人が死ぬ」という最悪の結末を避けるための取り組みは最優先であるべきで、それを経営者や労務担当者、監督官庁、労働者本人は明確に認識してもらわなければならないと思います。
【過労死防止学会】の分科会では、電通に勤務していて亡くなった高橋まつりさんのお母さんのお話を聴くことが出来ました。
しかし、こんな大事な話なのに、会場内の聴講者はわずか30名ほどでした。

「人を大切にする社会の実現」に貢献する専門家であるために、今私たちは何をすべきか、改めて考える機会を戴いた気がします。

 

 

 


令和の時代には、どんな働き方が主流となり定着するのでしょうか。

戦争の時代から戦後復興そして高度経済成長した昭和の時代の働き方と、平和な時代であった平成の働き方は明らかに違っていました。

自分の生活や健康を無視して働くことさえ疑問を抱かなかったのが昭和でしたが、平成の時代には「ワークライフバランス」という言葉が広まったように、「仕事(ワーク)」と「家庭生活(ライフ)」の調和のとれた生き方が検討されるようになり、平成の終わりには、働くことが最優先の時代ではないことは明らかになりました。

さて、その後に続く「令和」の時代はどうなるのでしょうか。

昨今、少子高齢化の進行により「生産年齢人口の減少」が大きな問題だと指摘されています。

この生産年齢人口とは、日本国内における、「生産活動に従事できる年齢の人口」のことで、一般的には就業が可能となる年齢から定年退職するまでの人口のことで、具体的には15歳以上65歳未満までの総人口を指します。
この減少傾向を短期間で回復することは不可能ですから、政府が提唱する「70歳まで働ける仕組みを作る」ことは、一つの打開策だろうと思います。

国の基本的なラインが「70歳までの就労を目指す」のであれば、これに沿う様々な政策が順番に出てきます。

法律も改正されますから、今まで通りのやり方が通用しなくなる可能性は高くなりますから、それに備えた労務管理の方法を今から検討しておく必要があると思います。

 

 

 


新しい「令和」の時代、どんな社会が実現するのか皆様は楽しみに思いませんか。

私が特に願っているのは、年齢や性別、国籍などによって不利益が生じない本当の意味での『平等な社会』がスムーズに実現することです。

すでに賃金制度では、かつての年功序列を軸とした体系から個々人の能力や成果に重きを置くものに変わり始めていて、結果を出せる能力のある若者を正しく評価しない企業からは人材の流出が始まっています。
また、女性特有の視点で新しいアイデアや企画を提案し成果を上げている例も多く報告されていて、性を理由として不当に低く評価し、あるいは能力に見合った役割を与えない企業は、淘汰される時代になるのは間違いないと思います。
また、外国人材の受け入れについては年々開放されてきており、近い将来、国籍を尋ねる意味さえ無い時代になるかも知れません。

加えて、西暦と元号の両方を使いこなす日本国民として、日本独自のものにも価値を見出してくれる時代になって欲しいと思います。

例えば我が国の学校教育には幼い頃から英語に触れる仕組みは盛り込まれていますが、わが国の文化である古典に触れる機会は多くありません。
世界の国々との交流の中で、外国のものと日本のものとを融合させることで成長してきた日本人ですから、世界基準で物事を考えられる人に育てるには、自分の考え方や、ものの見方の土台としてわが国独自の文化を知っておく必要があると思います


いよいよ平成も残り1カ月となりました。
皆様は30年余続いた平成の時代についてどのような印象をお持ちでしょうか。

今回は平成時代の変化について述べたいと思います。

私にとっての平成の始まりの頃は、青春時代を過ごした後に社会人となり、会社員として11年を過ごしていました。
既に結婚し3人の子供と暮らしていましたから、平成の30余年間は子供の成長とともに過ごしてきた30年でした。

平成になった日、昭和天皇の崩御の朝のことや新元号の決定発表のことが記憶に残っています。
その後、平成7年の阪神・淡路大震災の折の早朝の地震の揺れで目を覚ましたこと、同じ年の3月20日の地下鉄サリン事件、平成10年の長野五輪、平成20年のリーマンショック、平成23年には東日本大震災もありました。

しかし、私が思う平成時代の一番大きな出来事は、パソコンの普及と高性能化、そして黒電話や公衆電話に代わって携帯電話が登場し更にスマートホンへと進化したことなどによる「情報伝達方法と情報処理の変革」だったと思います。
こうした情報に関する技術革新が目覚ましく進展したことで私たち個々人の社会生活や仕事のやり方は大きく変わりました。
そして次の時代は、AI(人工知能)の時代になることは間違いありません。

平成時代の「情報の伝達や処理の変革」に比べて、AI(人工知能)による変革はどの程度のものになるのでしょう。

平成時代の変化の度合いを検証してみると次の時代の変革は更に大きなものになると思います。


報道を見る限り厚生労働省の「毎月勤労統計調査」の実施方法に適切ではない部分があったことは間違いないようで、多くの国民が「厚生労働省はけしからん」と思うのは当然だと思います。
しかし、この毎月勤労統計調査に企業側の担当として関わっていた者としては、別の思いがあります。

従業員規模が何万人というような大企業には人事労務の専任がいますし、会社によっては社内の統計に関わる部署もあると思います。
そういう会社ならば調査依頼に対応する余裕はあると思います。

しかし、私の勤務していたような中堅規模の企業では、多くの会社で人事・労務・統計などの業務は兼任が当たり前で、更に経理や財務までも兼任している会社も珍しくありません。
また、どんな企業でも冗費の削減は最優先課題、直接収益を生むことの無い間接部門は真っ先に人員削減の対象ですからギリギリの人員で業務を回しているはずです。

厚生労働省の担当部署が東京都の従業員規模500名から1000名程度の企業に「毎月勤労統計調査」の依頼をしても、かなり強固な拒絶反応があったのだと私は思います。
私も同じように対象から外してほしいと何度も話をした記憶がありますから・・・。

毎日の仕事を定時で終われない環境なのに、手間の掛かる統計調査を引き受けると更に残業をしなければならない・・・しかし残業は減らせと命じられる。
こうした点に着目しないで理想論ばかり唱えても、本当の解決にはならないと思います。


昨年から『平成最後の・・・』がブームでしたが、それに倣えば今月は「平成最後の年の始まり」となります。

思い出せば昭和の終わりは昭和64年の正月明けに突然到来しましたが、平成の終わりは計画的に予定が組まれ、様々なセレモニーが粛々と準備されています。
30年続いた平成を皆さんはどのように記憶に留められるでしょうか。
昭和31年生まれの私は、昭和の時代に生まれ育ち、社会人となり家族を得ました。
その後の平成の30年間の前半は会社員として仕事に向かい、後半は事務所を開いて小さいながらも経営者として生きてきました。

今年、その平成が終わります。

昭和の時代は人力で行う作業を機器が代替した時代でした。
洗濯機、冷蔵庫、テレビが普及しマイカーを持つことも当たり前のようになった時代でした。

平成の時代には情報のやり取りの方法が格段に進歩し、普段の仕事にインターネットやスマホが欠かせなくなったのは、平成の後半のことです。

昭和から平成の時代、私たちのライフスタイルや仕事の進め方は大きく変わりましたが、平成の次の時代にも更に様々な革新が生まれ、私たちの生き方を大きく変えることは間違いありません。
ボーッと生きていたら時代の波に押されて生き方を変えさせられてしまうかもしれません。
波に押されて流されるのではなく、平成の次に来る時代において主体的に生きるためにはどうすればいいのか、年の始まりにあたり考えてみたいと思っています。


最近読み終えた本の中の一節にこんな言葉がありました。

誰もが限られた時間しか持っていない。したがって、自分にとって大事ではないもので時間を埋めていくと、自分にとって大事なものに割くべき時間を失ってしまう。結果として大事なものを手に入れることができないまま人生を終えることになる

この言葉を読んで思ったのは、「『忙しい』と思いあるいは口に出すことにより先入観を生み出し、『忙しい』を口実に無計画に日々を過ごしているので、自分にとって本当に大事なことに取り組もうという気持ちを持っていないのではないか」ということです。

皆さんはどうお考えですか。

しかし、ここで難しいのは、今の自分にとって「何が大事なこと」で「何が大事ではないこと」と簡単には峻別できないことです。
つまり、私たちは社会生活を営む生き物ですから、仕事に限らず人に会って話をしますし、様々なメディアに触れ、時にはネットを通じて情報発信することもあります。
常に複雑に交錯する人間関係や膨大な情報の中で暮らしいるのですから、ことあるごとに「これは大事」 「これは大事ではない」と決めることは不可能に近いことです。

また、もし峻別する時間を確保したとしても、「これこそが本当に大事なこと」と確証を得ることも簡単なことではありません。
「だから、そんな無駄なことに手間と労力を使わないで気楽に生きていこう」という考え方もあると思いますが、何故かこの一節がガッチリと心に引っ掛かっています。


世はまさに『働き方改革』一色。
新聞誌面を眺めると、記事や広告にほぼ毎日この言葉が見られます。

さて、政府が「改革」を使って「改善」を使わなかったのは何故か、また、どうして「革新」ではないのか、単に耳触りを考慮してのことではないと思います。

今回は少し掘り下げて考えてみます。

一般的に「改善」とは現状肯定の視点で改良を加えることをいい、「改革」とは現状否定の視点で新しい姿にすることと言われています。
つまり、「改善」はこれまでの延長線上にあるので変革の度合いは小さく、「改革」は将来を見据えるため、必ずしも延長線上にあるとは限らず、従って変革の度合いは大きくなる傾向にあります。
また「革新」は新しいことに変えることですから、変革は更に大きなものになります。
つまり変革の度合いに限って比較すると「改善」<「改革」<「革新」となります

組織の経営者や個々の労働者にとって、変革はある種刺激的ですが穏やかなものではありません。
季節の変わり目に体調を崩す人がいるように、根本的な変化というものは、組織や人に複雑な形で影響を与え、ときには大きな痛手を伴うことにもなりかねません。
昭和20年代の労務の仕組みを基盤とし、必要な都度改正で繋いできた枠組みを、政府は「改善」以上「革新」未満の「改革」によって大きく変えようとしています。

さて、私たちはどのように対処すべきでしょうか、組織のリーダーには、「働き方改革」の変革に対する知識や想像力、乗り越えるために決めた手段を遂行する強いリーダーシップが求められると思います。


雇用契約を終了するとき、労働者が申し出れば「退職」、会社が申し渡すと「解雇」となります。
突然の申出や申し渡しによって、双方が気まずい思いをすることがありますし、時には争いに至ることもあります。

しかし、話し合いを重ねるなどして、雇用契約の終了が円満に解決するケースも多くあります。
気まずく思ったり争いに至るケースと円満に事が運ぶケースでは何が違うのでしょうか。
事案ごとに理由はありますから、「これだ」という決定的なものはありませんが、数多くの「退職」と「解雇」に立ち会ってきた者として思うのは、『上手くいくかどうかは、相手の立場を思う気持ちがどの程度あるか』ということなのではないかと思います。

例えば、退職を申し出る労働者が『早目に申し出て、出来るだけ会社に迷惑を掛けないようにしよう』という思いで申し出れば、それは会社に伝わると思います。

また、会社も『早目に知らせて次の仕事を見つけられるよう支援してあげよう』との思いで申し渡せば、例え解雇であっても、解雇するに至った理由に理解を示してくれると思いますし、争いに至ることは意外に少ないと思います。

中小零細企業における解雇は、業務と本人の適性が合わないケースが多いものです。
その原因の一つは、大企業に比べ中小零細企業では配置転換が難しいためですが、そうであるならば雇用契約の「終了」とは、新しい仕事に出会える「チャンス」であり、新たな可能性への「スタート」と言えるかもしれません。


1978年の社会人スタートの時、最初の配属先では二人の指導員から丁寧に仕事を教えてもらいました。
学生時代にアルバイト経験がありましたので、仕事というものは決して楽なものではないことは十分承知していました。

しかし、ある朝、上司に大声で叱られた記憶は、今でも鮮明に残っています。

別室に呼ばれ
「てめぇ舐めとったらあかんぞ!」
と“叱る”よりも恫喝に違いない言葉を発し、応接室のテーブルを叩いて灰皿がひっくりかえるような威嚇行動を伴った叱り方、私の朝の挨拶がいい加減だったのだそうです。

大声で怒鳴るように叱られても思い当たるところがなく、社会人になって最初の嫌な事件として今でも鮮明に記憶に残っています。
職場での上下関係を示そうと、『相手を大声で怒鳴って、自分の優位を示そうとする単細胞』と当時22歳の若造の私はそう理解しました。

社労士になった今、思えばその上司の叱り方は、最低の叱り方だったと思います。

あの日から40年が過ぎ今年は2018年、最近では叱ることを避けるリーダーや叱れない管理者が増えているそうです。
叱られた経験を持たないまま成長してしまった若者は、『叱る=人格否定』と誤った解釈をしているのかもしれません。

上席者が職場でのルール違反や相応しくない行動について、その都度、相手のこれからを思って叱ることは、絶対必要で重要な社員教育です。
決して『叱る=人格否定』ではないこと、正しく叱ることで「叱る人」と「叱られた人」の双方が成長することを是非とも知って欲しいと思います。


「他人と過去は変えられないが、自分と未来は変えられる」

これは、カナダ・ケベック州出身の精神科医で心理学者のエリック・バーンの有名な言葉です。

過去と未来をそれぞれ比較の対象に加えた名言ですが、簡潔に言えば「他人は変えようとしても変えられないけれど、自分は変わろうとすれば変われる」と読めます。

このロジックを採用や教育の場面についてあてはめてみるとこんなことが言えると思います。

募集を告知し、会社にとって理想的な応募者(他人)に応募して欲しいと念じても、応募者の心は変えられないので、希望通りの人を集めたいという願いはかないません。
会社(自分)が出来ることは、募集の告知を知って多くの応募者が集まってくるような会社に変わっていくことだけなのです。
また、採用した新人を教育するとき「成長してくれ」と伝え、願うだけでは新人は成長しないことは明らかです。本人が「この会社で働いて成長したい」と思えるような職場環境や労働条件を提供して、新人自らが変わりたいと思わなければ変わらないのです。

概念的な言い回しで、ちょっとわかりにくかったかもしれませんが、私たちはエリック・バーンの
「他人と過去は変えられないが、自分と未来は変えられる。」
という言葉を理解しながらも
「他人を変えよう、他人も変えられる」
と勘違いして行動をしているような気がします。

今月は少し長めの夏休みを取る方も多いと思います。
のんびり休んでリフレッシュできましたら、このあたりを見直しされてはいかがでしょう。


友人の経営コンサルタントS氏は毎年暮れになると「やめるリスト」を作成して、「来年は○○をやめる!」と周囲の関係者たちに宣言するのだそうである。
彼は「やめるリスト」という考え方を次のように説明している。

凡人が悩むのは「やることリスト」を作るからで、毎年決意を新たに元旦から始めてみても、「やること」は続かない。
「やること」と決めたことが長く続いていたらていたら、どいつもこいつも孫正義や三木谷浩史みたいに出世している。

・・・なるほど簡明である。

これまでの私は「〇歳までの〇年間に売り上げ目標を達成し、その後、新規の事業計画を実行して・・・」と、社労士事務所開業以来15年間「やること」の企画や計画ばかりを頭の中で描いて走ってきている。
しかし、この世に生を受けて60余年、社会人になって40年、事務所を開いて15年が過ぎているのだから、そろそろ自分の能力の限界を自覚し、「やりたいこと」基準で「次にやること」だけを考えてきた日々も、そろそろ終わりにしなければいけない・・・と考えるべき時(トキ)が来ているように思えてくる。

個人事業主や同族企業の場合、経営者は気力、体力の続く限り交代しないケースが多いが、大手企業ではプロ経営者をスカウトして経営の再構築を図る事例がしばしば報告されている。
企業の経営を社外から招いた人に任せることで、過去にとらわれない自由な視点で「選択と集中」を推し進め、企業をリフレッシュするという行動の中には、きっと「やめるリスト」作りも含まれているに違いない。
大手企業でも生き残りのための必須の手法だとすれば、私のような弱小個人事務所は、なおさら考えなければ・・・と思っている。


日本大学と関西学院大学のアメリカンフットボールの試合で起きたことが大問題となっています。
報道では画像を伴った概要説明から始まり、日本のトップクラスの体育会系スポーツに詳しい方によって事件の背景まで詳しく説明しています。

試合に勝つという結果だけが重視され、フェアプレー精神を無視した残念な事件でした。
しかし、今回の事件の顛末や識者の見解を知るにつれて、私は日本の過労死問題と「根は同じ」ではないだろうかと思い始めました。

長時間労働などが原因で心の病を患い、自ら命を絶つという話を聞くと、『死ぬくらいなら仕事を辞めれば』と言いたくなります。

今回、無防備な関西学院のクォーターバックに突撃した日本大学の学生に「監督やコーチの命令でも相手に暴力を振るうなんてことは、人として行うべきではない」と伝えたとしても止められなかったでしょう。

『不合理だと理解していても組織の一員である以上、命令には従わなければならない』

という誤った思い込みが理性を上回っていたのです。

過労死問題においても『命を懸けてまで達成しなければならない仕事の目標なんてものは、あるはずがない』のです。
でも現実は命懸けで仕事をしている人は少なくありません。
恐らく自ら命を絶った部下の上司や会社の経営者の方々は、『そこまでのことは命じていなかった』と思っているかもしれませんが、指揮命令が厳しい口調で繰り返されると『仕事は自分の命よりも大事なもの』と部下は錯覚してしまう危険があります。

私は今回の事件で批判の的となった監督やコーチと似たようなことをしていないか

日々指揮命令をする人はチェックすべきだと思います。


「最近の新入社員はすぐに会社を辞めてしまう」
という話をよく聞きますが、事務所通信3月号でお伝えしたとおり、実は新卒新入社員の3年以内の離職率は30年前とほとんど変わっていません。

しかし「最近の若者には忍耐力がない」「とにかく打たれ弱い」という評価もしばしば耳にします。
しかし、それは 「職場の上司」や「会社のトップ」の感じ方であって、関係ないとは言い切れませんが「新入社員」側の辞める理由ではありません。

では新卒新入社員は何故辞めていくのでしょうか。
本当の理由は何なのでしょうか?
アンケート調査結果では、新入社員が会社を辞める理由のトップは、「キャリアアップしたい」、その次が「仕事が面白くない」「給料が低い」と続きます。

でもこれらの理由は離職を願い出て上司がスムーズに受理してくれる可能性の高い理由です。
言わば、職場でもめずに辞める都合の良い口実に過ぎません。

退職した新入社員の意識調査では、会社を辞める一番の理由は「職場の人間関係」
なんと離職の原因の80%がこれだと言われています。
当然ですが、職場の人間関係が原因なら「課長、あなたが嫌いだから辞めます」と本当の理由を言うはずはありませんよね。

このように、新入社員は辞める理由を正しく告げないことが多いのですが、これに対して経営者や上司は『退職を願い出た本当の理由が他にあるのではないか?』とは考えないようです。

しかし、辞めたいと思った本当の理由が職場にあるとしたら、新入社員の早期離職が毎年続く可能性も出てきます。

『わが社は新卒に限らず中途採用者でも早期離職が多いようだ』と思われたら「辞める本当の理由」を探すことをお勧めします。


事務所通信3月号では、3年以内に離職する新卒新入社員に関する厚生労働省のデータをお知らせしました。

今月号は、『新入社員が辞める会社の特徴』についてお伝えします。

ただし、サービス残業が多い、求人票の採用条件が実際とは異なるなどという話はそもそも採用活動ではルール違反ですから、新卒新入社員の離職を慰留することは無理だと思います。

『新入社員が辞める会社の特徴』

矢島が個人的に重大だと思う3つをお伝えします。

その1、社員教育の優先順位が低い会社

こういう会社では「仕事は見て覚えろ」式の論理が大手を振って通っています。
研修計画の中に「先輩の仕事をする姿を見て覚える」式の文言が記載されていたり、短所を見つけ、それを指導員が叱って改善させることが教育だと勘違いしているケースもあります。

その2、過去の上司の武勇伝がマニュアル化している会社

経営トップが新入社員に「俺の若い頃」の話を「教育」と勘違いしている会社は実は結構あります。
「俺の若い頃」の話を語るのは、お酒の席限定、しかも賞味期限は一回限り。
耳にタコでも新人はニコニコとして聞いてくれますが、実は『この会社、いつ辞めようかなぁ…』と考えていることが多いようです。

その3、長時間労働に罪悪感に持たない上司のいる会社

これでは新卒ばかりでなく中途採用者も転職を考えます。
今はITを活用し短時間で生産性を上げて結果を出す時代、それを若者は理解しています。
しかしITが苦手な中高年はガッツや根性を駆使して長時間労働に耐えて成果を目指します。

長時間労働による生産性の低下に気付かない人を管理職に登用しているようでは、会社の業績は厳しいのではないでしょうか。

次回は「新卒新入社員が辞める本当の理由」について考えてみます。


29年9月に厚生労働省は『新規学卒就職者の離職状況(平成26年3月卒業者の状況)』を公表しました。
それによると新規学卒就職者の3年以内の離職率は新規高卒で40.8%、新規大卒は32.2%となっています。

しかし、事業所の規模別でみると1,000人以上では離職率は高卒25.3%、大卒24.3%と低くなっており、逆に30人未満の事業所では高校も大学も5割以上が3年以内に離職しています。
なお、3年以内の離職率の内訳では1年目の離職率が高く、2年目3年目と低くなる傾向があります。
また、産業別では宿泊業・飲食サービス業が3年以内離職率ではトップとなっており、大卒で5割、高卒で6割強の新卒が3年以内に離職しています。

さて、来月4月には多くの新卒者が社会人になりますが、先に述べた3年以内の離職率の高さは30年以上続いていますから、多分今年の新卒も3年以内に大卒で3割、高卒で4割が離職するでしょう。
少子高齢化が進み、働く世代の人口がますます減少する時代、苦労して採用した新卒は「1年、2年掛けてみっちり社内で教育して戦力にしよう」とどの企業も真剣に考えますが、その思いが叶わずかなりの割合で退職するという事実をどう考えればよいのでしょうか。

また、厚生労働省データは集計結果であり、ほとんど新卒が辞めない企業もあれば、大半の新卒が辞めてしまう企業もあるはずです。

人が仕事や職場をどう思うかは、個々人それぞれ違っており、まさに千差万別ですから「これが 真の原因です」と明確に示せるものはありませんが、あるキャリアカウンセラーが面談実績に基 づき『新入社員が辞める会社の共通点』を報告しています。

次回以降このページで紹介したいと思います。


1月は全国的に数年ぶりの大寒波で寒い日々が続きましたし、成人の日の当日には晴れ着のレンタル業者が夜逃げをして折角の晴れの日に大トラブルに見舞われるという気の毒な事件も発生しました。
寒波とともに被害に遭われた方にはお見舞い申し上げます。

さて、1月の災害の記憶と言えば23年前(当時、私はまだ39歳)の1月17日に発生した【阪神淡路大震災】でしょうね。
遠く離れた飛騨の地でも早朝に激しく長く続いた地震の揺れは鮮明に記憶しています。

その時の事でもうひとつ鮮明に記憶しているのが、関西方面と電話による通信が出来なかったときに、会社で使っていたパソコン通信は支障なく通じていたこと。
今では多くの方がインターネットを当たり前のように活用する時代になりました。
震災後の23年で飛躍的に技術が進んだ代表格が通信手段だと思います。

突然、話はガラッ!!と変わりますが、昨年の春頃から私のところに年金の相談が急増しています。
実はその原因…私の同級生が昨年の4月以降、順々に62歳に到達してきているから。
いわゆる男性の『特別支給の老齢厚生年金』の受給開始年齢になり、長年保険料の納付役だった人に年金が支給されるようになったということです。
自分の年金ですから自分で勉強すべきだとは思いますが、地元に年金のことを相談できる同級生の社労士がいるのですから、便利に使わない手はないということでしょうね。
私も何かと世話になっている友人たちなので、快く電話や事務所に招いての相談に応じています。

実は1月生まれの私も先日、高山年金事務所で自分の年金の請求手続きを済ませてきました。
今年の春から振り込まれる年金を今か今かと待ち遠しく思っています。


社労士事務所通信をお読みの皆様、新年あけましておめでとうございます。
本年も矢島社労士事務所とヴィジョン・ウィズ社労士事務所ならびに社労士事務所通信を宜しくお願い致します。

さて、2018年の始まりに際し、矢島が思う『今年起きる可能性が高い労務管理に関する事案』を二つ予想してみたいと思います。

先ず一つ目は賃金制度の転換点を迎えること。
憲政史上最強とも言われる安倍内閣、その安部内閣でも『働き方改革』に関しては、野党や連合とかなりの時間を費やして慎重に話合ってきました。
しかし、今年はそろそろ『ホワイトカラーエグザンプション』などの法案をマジで通しにかかると思います。
これは『時間』ベースの昭和の賃金制度が『成果や能力』ベースの賃金制度に変わっていくもので、時代の流れに則した対応ですから、これに抗う意味はほとんどないと思います。
導入当初は一部の高収入者が適用対象となっていますし、最低賃金もかなりのペースで引き上げられましたので、反対勢力もトーンダウンすると思います。

もう一点は総労働時間の削減の進行。
全国で人手不足が続くため一人当たりの労働時間は増えると思われるかもしれません。
しかし、限られた国内人材の争奪合戦がこれだけ続くと、労働条件は労働者の望む方向に変わってきます。また、昨年来の電通事件等により『長時間労働の存在』は、かつてないほど悪評の素になっています。
大企業から地方の中小零細企業に至るまで時間外労働時間の削減は最優先事項になっています。
また、働き方改革の一環で『休みを取る』ことに理解を示すことも当然のこととして要求されています。

こうした観点から2018年は総労働時間の減少の流れは更に強まるだろうと予想します。


テレビやラジオの出演者が挨拶の冒頭に「早いもので今年も師走を迎えました」と添える月となりました。
皆さまにとって2017年はどのような一年だったでしょうか。
今年も一年を振り返るシーズンを迎えました。

さて、私の今年一番のニュースは自宅近くに事務所を移転したこと。
以後、半年近く経ちますが、新しい事務所では『仕事をしているなぁ…』と感じることが多くなりました。
きっとスタッフも同じように感じてくれていると思います。

取敢えず一歩前に進みました。
来年は今後の事務所の運営や仕事のやり方について見直してみたいと考えています。

私の二番目のニュースが、仕事で関わってきたある業界に関してなのですが、『人手不足の一番の原因はこれだ』と信じていたことに疑念が生じたことです。
信頼できる筋からの情報を疑うこともなく、人手不足解消のための活動に取り組んできました。
しかし、今年、新たな情報に触れて『この業界の人手不足の一番大きな原因は別のものかも?』と疑い始め、今ではほぼ確信に変わりました。

正直に申し上げますが、「ショック」でした。
これまで10年近い期間、私のアドバイスは一番大きな的(マト)を外していたことになりますから。

私たちは数多くの情報の中から「必要な情報」、「正しい情報」などを選び出し、それらをベースに自分なりの判断を組み立てていきます。
間違いなく正しい情報だと思っていても、実は「正しいかもしれない」程度の情報、あるいは「正しいとは言えない」問題情報かもしれません。

個々の情報を時間を費やして慎重に吟味する時間的余裕が許されないのなら、仕事を進めつつ時々立ち止まって全体を俯瞰する余裕を持ちたいと思っています。


仕事と生活の調和(ワークライフバランス)憲章が2007年12月に制定され、その実現を目指して行動指針も定められています。
その行動指針の中に「仕事と生活の調和が実現した社会の姿」として、具体的に以下の3つが示されています。

  1. 就労による経済的自立が可能な社会
  2. 健康で豊かな生活のための時間が確保できる社会
  3. 多様な働き方・生き方が選択できる社会

今月11月が過労死等防止啓発月間にあたりますので、これと関係の深い「健康で豊かな生活のための時間が確保できる社会」に必要とされる5つの条件についてお知らせします。

  1. 企業や社会において、健康で豊かな生活ができるための時間を確保することの重要性が認識されていること。
  2. 労働時間関係法令が遵守されていること。
  3. 健康を害するような長時間労働がなく、希望する労働者が年次有給休暇を取得できるよう取組が促進されていること。
  4. メリハリのきいた業務の進め方などにより時間当たり生産性も向上していること。
  5. 取引先との契約や消費など職場以外のあらゆる場面で仕事と生活の調和が考慮されていること。

(※下線は矢島の主観です)

「仕事と生活の調和」の行動指針に着目して、自社の働き方の改革、見直しあるいは点検に取り組むと良いと思います。

私たちの職場は「健康で豊かな生活」を意識しているか。
「労働関係法令を遵守」しているか。
私たちの職場には「長時間労働」の職場はあるのか。
「年次有給休暇の取得」は出来ているか・・・

こうした点を考える糸口として、11月は「健康で豊かな生活のための時間が確保できる職場環境」の点検月間にされることをお勧めします。


おおよそ30年間、中小企業の採用の業務や採用に関係することを生業としてきた者として、昔も今も思うことが二つあります。

一つは「公正な採用を意識して採用活動を実施することは、結果に現れる」ということ。

もう一つは「中小企業ほど人手不足の把握が曖昧」ということです。

「公正な採用」については厚労省が毎年度詳しいリーフレットが出しますから説明は省きますが、公正な採用を励行することは、【応募者に広く門戸を開く】ことと、その応募者の【適正と能力】を真剣に選考するということです。
有能な応募者に応募の機会を広く提供し、適正と能力を判断の基準として採用する企業であれば、将来に向かって成長すること間違いがないと思うのです。

しかし、現実は違います。
意味もなく応募者を限定し、あるいは選考時に関係のない事柄について質問し、あるいは応募者本人の知らないところで聞き取り調査することは珍しくないのです。

また、人手不足の把握については、大変失礼な言葉で申し訳ないのですが、『足りない気がする』というような「経営者の勘」に基づいて決定されていることが多いように思います。
もちろん「中期経営計画に基づき毎年の採用活動を計画している」企業もありますから、すべての募集採用活動を批判するつもりはありませんが、人手不足というお話を聞いて「社長、何人足りないのですか?」とお尋ねし、その不足人員算出の根拠についてさらに質問すると明確なものを答えていただけない場合がほとんどなのです。

経営資源には「ヒト」「モノ」「カネ」「情報」の4つがあると言われ、その筆頭に「ヒト」が挙げられていますから、間違いなく一番大事な資源です。
それだけに新たな人材を確保する採用活動には、もっと真剣に取り組むべきだと思います。


1978年(昭和53年)に社会人をスタートして40年が過ぎようとしています。
最初に就いた銀行員時代、そして転職後は企業の労務担当として、専ら人に会うのが仕事でしたから、これまでにお会いした方はかなりの数であることは間違いありません。

仕事仲間や上司、お客様、友人・・・いろいろな方とお会いし、いろいろなお話しをしました。残念ながら折々にどんな話をしたのか、何を教えてもらったのか、詳細な記憶はほとんどありませんが、何人かの方々からは、今も私の心に残る言葉を戴きました。
有難いことにそうした「心に残る言葉」は、その時々に私に希望や目標、時には勇気を与えてくれました。また、過去にはこの事務所通信でご紹介したものもあります。

さて、「心に残る言葉」をもらいつつ齢を重ねこの年になり、ふと気になり始めたのが『私はお会いした方に「心に残る言葉」を贈ることが出来ていたのだろうか』ということです。

有難く頂戴するばかりで何もお返しすることが出来なければ、『何の役にも立たないジジィに過ぎない』のではないかと、些か不安に感じています。
無論、若い頃は相手の「心に刺さるような言葉」を知って知らでか勢いで言い放ち、私の知らないところで迷惑をかけていたでしょうから、もし贈ることが出来たとしてもある程度の年齢以降の話になります。
多分、会社員として部下を預かるようになってから、あるいは事業を営み一緒に働いてもらう人に来てもらうようになった頃からならば、お会いした方々に少しは「心に残る言葉」をお届けできていたかもしれません。

尤も「実は、矢島さんからは「心に残る言葉」を戴きました」と感謝の言葉をお聞きする機会があるのは私の遺族、つまり私があの世へ旅立った後だろうと思います。
気になりますが今確認するのは難しいでしょうね。


8月、子供たちは既に夏休みを満喫していますが、日本では『大人が長期間の夏休みを楽しんでいる』という話を聞いたことはほとんどありません。

最近、アメリカ合衆国大統領が2週間の夏休みに入ったというニュースに少し驚きましたが、米国でも2週間は長すぎるという批判があるようです。
自由の国アメリカでは、休みを取ることも休みを取らずに働き続けることも自由だそうですから、批判の根拠はどうも別にあるようです。
ところがヨーロッパ、とくにドイツやフランスでは、2週間の夏休みを長すぎると批判することはないようで、それ以上に長い夏休みを交代で取得することは、昔から当然の文化として続いています。

さて、日本の多くの企業では今月中旬に夏季休業を実施します。
こうした企業が一斉に夏季休業を取るということは欧米にはなく、日本独特の企業の風習のようで、昔の藪入りが起源なのかもしれません。
ただし、我が国においても法律で休業日が決まっている官公庁や金融機関などでは独自に休業日を増やすことは認められず、職員や社員は交代で休暇を取得しています。

さて、こうした休暇を公務員や金融機関の方々は何日取得しているのでしょうか。

労働基準法が適用される民間企業の場合、年次有給休暇の取得日数は、保有日数内ならば本人の希望をかなえなければなりませんので、大統領並みの2週間の有給休暇希望を拒否することは出来ないのですが、実態は限られた人員の中で公平に休みを配分するために最大でも1週間程度が限度のようです。
長い夏休みが当然のこととして社会に認められるのは日本では難しいですね。

ところで、矢島社労士事務所も『8月11日の山の日から8月16日まで』お休みをいただきます。
ただし、緊急案件については対応いたしますので、何かありましたら電話でお知らせください。


以前勤務していた製造業の会社には、天然の木材を使って製品を作る工程がありました。
木材は種類(樹種といいます)によって色や肌触りが異なりますが、同じ樹種であっても、色や木目が全く同じものはありません。

言い換えればすべてが異なるモノなのです。

そこで天然の木材を使う職場には【良品または不良品となる品質の限度を示した見本】として【限度見本】というものがあり、これを基準に検査員が検査をしていました。

こうした人の感覚による良品、不良品の見定めを官能検査と言いますが、この検査を行うためには【限度見本】は欠かすことのできないものでした。

さて、最近テレビや新聞、週刊誌で話題になった「職場におけるパワーハラスメント」の話はご存知でしょうか。
素晴らしい学歴、経歴を持つ国会議員の先生が大声を上げて運転中の部下の秘書を叱責していたあの話です。

職場のパワーハラスメントとは、『同じ職場で働く者に対して、職務上の地位や人間関係などの職場内での優位性を背景に、業務の適正な範囲を超えて、精神的・身体的苦痛を与える又は職場環境を悪化させる行為』と定義されています。

しかし、『職場での優位性』とは具体的にはどのようなことなのか、『業務の適正な範囲』の適正な範囲とは、どの程度のことを示すものなのか。
「職場のパワーハラスメント」に関する問題は、私たち社会保険労務士の守備範囲の案件になるのですが、こういう人に関わる問題の中で、極めて抽象的な問題をわかりやすい形で説明することは、非常に難しく悩ましい問題の一つでした。

ところが、最新の録音機器を利用して生々しい現場の音声がテレビで流れるというチャンスが到来しました。
「職場のパワーハラスメント」とは、例えばこういうことですと説明する格好の【限度見本】が見つかったと感じました。


私たち社会保険労務士の仕事には、社会保険や労働保険の諸手続き、雇用関係の文書類の作成、雇用に関わるご相談への「助言」などがあります。
このうち、諸手続きは、法律等の改正事項を踏まえなければなりませんし、文書類の作成も法的な必要性を担保するものでなければなりません。
また、個別の相談事案についても慎重に検討して、最善と思う「助言」をさせて戴いてきました。

さて、諸手続きや文書類の作成における「助言」の場合、根拠となる法律の条文や通達、手続きに関する参考資料など『モノサシ』がありますから、これらをベースにしています。

これに対し、『モノサシ』のない相談事案、例えば採用時の基準の設定や個々の応募者の評価方法。
雇用に関して発生した事象が労務トラブルにつながる可能性に関わる所見。
また、対応策が複数想定される事案の場合には、優先順位に関する所見など『モノサシ』の無い事案では『モノサシに代わる私の見方』によって「助言」をさせて戴いています。

ところで『モノサシに代わる私の見方』とは、どういうものなのか。
それは私に限らず多くの方々が『過去からの経験』をその見方の軸にされていると思います。
私の場合、労務管理の業務歴30年という『経験』はモノサシのない事案に対して、ある程度有効であると思ってきました。

さて、日経新聞29年5月31日号「私の履歴書」の中でオリエンタルランド会長兼CEOの加賀見俊夫氏は「過去の経験に基づく価値観から未来を見つめる価値観へ意識を変えないと成長はできない」とお書きになっています。
私たち社会保険労務士は、会社とそこで働く人がともに成長するための支援が出来るスペシャリストとして、過去の経験による価値観に縛られることなく「未来を見つめる価値観」を重視して、たとえ今起きている事案であっても「5年後、10年後を見据えた助言」を心掛けなければならないと思いました。


「これ、すごく珍しくてうまいですよ、ただし、食べた人の約半分はお腹を壊しますけれどね。」と言われては、例えうまそうでも、喜んで口にする人はほとんどいないと思います。
お腹を壊すリスクが5割というのは危険です。それでは、何割程度のリスクだったら手を出すのでしょうか。
例えリスクが1割に満たなくても、自分自身の腹に入るものなら大半の方は躊躇し、遠慮し、拒否するのではないでしょうか。

さて、経営する企業は自分の体、そして、新たに採用する人は未知の食べ物と考えれば、企業経営者が採用面接の際、様々な手段で応募者の能力や人となりを推察し、致命的なリスクの有無を見極めようとすることは当たり前のことです。

では、どのようにしてリスクを見極めればいいか。
どの程度、入社後のリスクを面接時に想定することが可能なのか。

口で言うほど人の見極めは簡単なことではありません。

「採用後に何かが起きても、それはその時に考えればいい」と楽観的視点をお持ちの猛者もいるかもしれませんが、大手企業の人事部は採用後のリスク重視の選考を基本にしています。
しかし、当然のことですが、応募者自身もその企業で働く場合のリスクについて応募する前から下調べをしています。

応募者にとって面接とは、既に入手している情報の制度を最終確認する場になっているかもしれません。
雇用契約の締結は対等の立場が原則ですが、採用面接の場では企業側と応募者側では事前に入手している情報量は明らかに違っています。
企業の情報はホームページやハローワークで簡単に手に入りますし、ブラック度が気になれば最近ではスマホで簡単に確認できます。

これに対し応募者の情報は応募者が書いた履歴書に書かれている程度。
探偵を雇っての素行調査は不要ですが、その他の合法的な手段を事前に準備検討して、自らが口にする食べ物のリスクを心配するぐらいの慎重な気持ちで、採用面接に臨んでいただきたいと思います。


テレビのクイズ番組で、ひらがなから正しい漢字を答え、あるいは難読漢字の読み方を答える番組があり、視聴中に正解を見つけると心でガッツポーズ。
そして、『ある程度、漢字を知る部類の人間ではないか』とニソニソ自己満足。
幼い頃から本を読むことが唯一の暇つぶし(※敢えて「趣味」とは言わない)だった結果でしょうか。

しかし、最近、漢字を本当の役割を知る人が世の中には多くいることを痛感したのが『忖度(ソンタク)』の件です。

ネットによると【日本語学者の飯間浩明さんが「これは伝統的なことばです。中国古代の『詩経』にも出てくるので、『昔から使われていることば』と表現するのが最も妥当です。日本にも10世紀から例がありますが、それ以前に中国から入って来たものでしょう」従来は「母の心を忖度する」「彼の行動の意図を忖度してみた」などと、「単純に相手の心を推測する」場合にも普通に使われていた。】とあります。

話題のK理事長さんは「土地取引のスピードが上がったのは「忖度」があったからだ」と発言し、M知事も、「良い忖度と悪い忖度がある」と発言しています。
私には馴染みがなかった「忖度」という言葉ですが、その言葉の意味合いを知り有効に使う人がいることを知りました。

この一件で「忖度」は、多くの人に周知され、組織に属する者としては「常識」のファイルに入れておかなければならない言葉になったと思います。

さて、国の提唱する「働き方改革」への取り組みと電通事件の影響もあり、企業は人事労務に対する意識を変えざるを得ない状況となっています。
結果として社労士業界は受注増加となっており、現在の多忙な状況は、今後ますます拍車がかかると予想しています。

ところで単に仕事量が多いためので「繁雑(ハンザツ)」となるのか、時代が求める人事労務のやり方を分かり易く伝えることが難しいので「煩雑(ハンザツ)」なのか、正しい漢字はどっちなの?

漢字は本当に難しいです。


睦月 ⇒ 如月 ⇒ 弥生なのだから、『弥生とは三月のこと』と単純に思ってしまいがちですが、弥生の語源が『草木がますます芽吹く頃』だと知ると、ようやく弥生は旧暦の三月、つまり現在の暦では、草木の芽吹きが本格的になりかかる4月のことだったと気付きます。
また、この地元の方はご存知ですが、飛騨地方では桃の節句と端午の節句を「ひと月遅れ」で祝う風習があります。

つまり、おひなさまは4月3日まで飾りますし、こいのぼりが6月5日まで空に泳いでいるのは飛騨では当たり前の光景なので、他所からお越しになった方は驚かれるかも知れませんね。

飛騨で桃の花が咲くのは早くても4月、こいのぼりが泳ぐ五月(さつき)晴れの空とは、梅雨時の晴れ間のことですからこれも6月頃のこと。
尤も五月晴れを「ゴガツバレ」と読むと新暦5月の爽やかな青空を示すのだそうで、日本語は本当に難しいですね。

さて、3月1日から15日までの15日間、奈良の東大寺では『修二会(しゅにえ)』の法会が営まれます。
通称「お水取り」と言われ、中でも有名なものは「籠松明」。
3月12日の深夜(正確には3月13日の午前1時頃)に長さ6メートル、先端の大きさ1メートルの大きな松明が二月堂の回廊を走り回る様子は毎年恒例のニュースとなっています。

この『修二会』は奈良時代の西暦752年に始まり、以降東大寺が焼け落ちていた時代も絶えることなく、毎年執り行われてきており、今年で1,266回目。
すごい話ですよね。
ちなみに二月堂の「二」や、修二会の「二」は元々『修二会』が旧暦の2月の行事だったからだそうです。(東大寺HPより引用)

ところで3月は年度末の月です。
事務所通信1月号でお伝えしましたが、わが国の会計年度が4月~3月制になって既に130年、今の日本では『4月に始まって3月に終わる』ことが私たちの周りに数多くあります。

4月1日の新年度のスタートに向けて準備しておかなければならないことのチェックをそろそろ始めてみませんか。


二月になりました。
今年の立春は二月四日、その前日の二月三日が春の節分となります。

労務に携わっている方にとって、二月は給与計算期間が短かったり1カ月単位の変形労働時間制の場合、法定労働時間数の上限が160時間であったりと、年に一度だけの二月独特の取り扱いが発生します。
どうして二月だけが28日(閏年は29日)なのかは、ネットで調べてください。

さて、よく言われる言葉に“二月は逃げる”という言葉があります。
『二月になったと思ったらもう月末だよ』なんて経験はどなたにもあると思います。

この“逃げる”二月に労務管理で気を付けていただきたいことの一つが新卒新入社員の受け入れ準備です。
『新卒は卒業後の4月入社』であることは間違いありませんが、今月あたりから時間を掛けて検討していただきたいのは教育研修の体制と計画です。
中小企業の場合、一人は経営者の方、もう一人は配属職場の責任者、そして新人の直接の教育係、この3者が時間的に余裕のある二月から計画的に話し合い、受け入れ前の環境整備、研修計画書の策定、一定期間ごとの進捗状況の確認手順の取り決め、必要であれば詳細な計画の策定までを誰か一人に任せるのではなく、3者が責任をもって話し合うことが大事です。

中小企業のトップが忙しいのはどこの会社でも同じですから、つい「君の部下に配属するから君に任せたよ」と言いがちですが、それは禁句と考えて、トップ自らが教育研修メンバーの一人として関わることで新入社員の成長と早期の戦力化に顕著な違いが出てきます。

教育研修計画で一番大事なことは継続性、何があっても取りやめずに続けること。
そのためにも事前に十分な時間を掛けて計画する段階からトップが参画し、トップでさえ『忙しい』という免罪符を持ち出さない姿勢を示すことが新卒新入社員研修の成功には極めて有効です。

日々の業務に加えて新卒新入社員の研修計画を立案するわけですから、速く始めないと中身のない計画しかできないかもしれません。


事務所通信をお読みの皆様、新年を健やかにお迎えのこととお喜び申し上げます。
本年も矢島社労士事務所ならびに事務所通信を宜しくお願い致します。

新たな年の始まりは1月1日ですが、わが国では国や地方自治体などの会計年度の始まりは4月1日と決まっています。

この4月始まり、生まれたときからその流れの中で60年も生きてきましたから、『どうして4月始まりなの?』なんて考えたこともありませんでしたが、何故か気になり調べてみました。
すると我が国の会計年度が4月~3月制となったそもそもは大変な苦労の末の妥協案のようなものでした。

明治政府が誕生した明治元年(1868年)の会計年度は旧暦の1月~12月制だったそうですが、明治2年には新米の収穫時期に合わせて旧暦の10月~9月制となり、明治5年の太陽暦採用により明治6年からは新暦の1月~12月制に戻り、明治8年7月からは地租の納期に合わせて7月~6月制を採用。
その後、軍事費の増大等により予算が枯渇し明治18年度分の酒造税を明治17年度に繰り入れてしまったため、明治19年(1886年)から酒造税の納期に合わせて4月~3月制となり、なんとそれ以降太平洋戦争後も変わることなく今日に至っています。

明治19年当時は今のように国債発行で歳入不足を補うという手は使えなかったのか考えられなかったのか、いずれにしても明治時代の大変な財政難が4月~3月制を生んだ要因のようです。

ところで我が国と同じ4月~3月制の会計年度を採用している国には、イギリス、カナダ、インド、デンマークがありますが、お隣の韓国や中国、そしてフランス、ドイツ、オランダ、ベルギー、スイス、ロシアは1月~12月制、アメリカは10月~9月制だそうです。
ちなみに昭和47年(1972年)に田中角栄首相が1月~12月制移行を唱えたものの大蔵省の反対で実現できなかったそうです。

4月~3月制が採用されて約130年間、4月~3月制の中で今の日本のすべてが動いていますから、会計年度を変えるとなると大変でしょうね。


【 現代は情報社会 】と言われて殊更異を唱える方は少ないと思います。
ウィキペディアによれば

情報社会とは、情報が諸資源と同等の価値を有し、それらを中心として機能する社会のこと

と有ります。

一昔前、経営資源はヒト、モノ、カネの3Mと言われましたが、今ではこれに「情報」が加わることが既に常識のように言われます。

さて、それほど現代社会において重要な言葉となっている「情報」という言葉の語源、気になりませんか。

2つの漢字「情(こころ、まこと、なさけ)」と「報(むくいる、しらせる)」を組み合わせた成り立ちなど、妙に気になって調べてみました。
すると「情報」という言葉の使用例は、明治時代にフランス軍の軍事マニュアルを訳した『野外演習軌典第一版』の中に出てくるのが最初で、フランス語のrenseignementに「情報」と訳語を付けた酒井忠恕少佐という方の使用が最初のようです。

文献によれば【酒井氏は書籍の中で、情報に意訳を付けており、これらの添え書きから、情報を「敵情のようす、または知らせ」という意味で用いていることがわかる。
したがって、情報は「情状の報告、または報知』を短縮したものと解釈することができる。】(参考論文 「明治期における情報と状報」小野 厚夫)・・・敵情報告から「情報」

・・・なるほど。

これに対しドイツ語のNachrichtの訳語に「情報」を用いたのは森鴎外という話は結構有名なのだそうですが、こちらも軍事用の書籍を日本語に訳したときに使用していて、「情報」という言葉が、そもそもは軍事用語だったというところは興味深く感じます。

さて「敵情報告」または「情状報知」の略語として「情報」が生まれたのは明治時代ですが、それから100年以上過ぎた今の日本人も略語好きは変わらないようです。
若者言葉でわかるのはガラケーくらいかな?仕事上の用語でも労働基準監督署を労基、厚生年金保険は厚生年金や厚年、健康保険は健保・・・そのうち「健保の語源調べたらって健康保険のことだったよ」なんて話が出てくるかもしれません。


私事で恐縮ですが、平成28年の誕生日で満60歳、つまり還暦です。
平均寿命が長くなり、還暦を迎えることが殊更珍しくなくなりましたので、落語の世界の「悠々のご隠居」的な待遇などは許されるはずもなく、大半の還暦シジイと還暦レディは日夜当たり前のように働いております。

『せっかく還暦なんだから・・・』と家族に祝ってもらう場合でも、赤いチャンチャンコや赤い下着をプレゼントされ和気藹々(わきあいあい)賑やかな祝宴を家族みんなで楽しむのが通例となっています。

しかし、かつて50歳ぐらいまで生きられれば良かった時代には、60歳まで健康に生き抜いたことを大変目出度く感じていました。そんな時代の還暦と現代のそれとでは重みが違うと思います。

とは言え最近の同窓会では前回の同窓会以降の物故者に黙とうを捧げることから始まりますから、現役時代と変わらず忙しく日々を過ごしつつ健康で還暦を迎えられたことは大変ラッキーなことには違いありません。

さて、今からおよそ2,500年前の中国は春秋時代、この頃の魯の国に生まれた孔子とその教えを受けた弟子たちが残した論語の中に次の有名な言葉があります。

子曰く 「吾 十有五にして学に志し 三十にして立ち 四十にして惑わず 五十にして天命を知る 六十にして耳順い 七十にして 心の欲する所に従いて矩(のり)を踰(こ)えず」

この言葉に従えば、60歳は耳順う(みみしたがう、じじゅん)年齢です。
この「耳順う」とは「60歳では耳にどんな話が聞こえても動揺したり腹が立つことはなくなった」という意味だそうです。

つまり穏やかに生きられるようになったという意味でしょうか。

当然ですが世界三大思想家のひとりである「孔子」(※残り二人は、ソクラテスとニーチェ)の振る舞いや考え方を知っても、習って自分のものとすることなど到底できるとは思いませんが、せっかく、健康で還暦を迎えられたのですから、孔子の教えに従い「どんな話が聞こえても、動揺したり立腹しない」人間になれるよう心掛けたいと思います。


私たちは『変えない理由』や『変えられない言い訳』を、気軽に口にしてしまいます。
しかし、『単に変えただけだったのに結果としてそれが最善の策で大成功につながった』という事例は過去からいくつもあります。
問題は『それでは、何を変えればいいのか』なのですが、その前に『変えることに対して私たちは本能的に否定してしまうものだ』ということを意識しければなりません。
また、『変わらないと当たり前のように思っていること』の中にも、視点を変えてみるだけで、変わる可能性に気付くこともあるようです。

さて、多くの会社では1日の所定労働時間は8時間となっていますが、これは1日の労働時間の上限を8時間と定めた労働基準法があるからで、この法律は1947年、今からなんと70年前に定められたものです。
私たちの周りで70年前と今とで全く変わっていないものがどれだけあるでしょうか。
逆に70年前の基準がそのまま堅持されていること自体不思議な気がしてきます。
「法律で決まっている」ことを言い訳にしないで、所定労働時間を( 法律の制限内で )変更してみることを検討する余地はないのでしょうか。

ところでこの1日8時間という所定労働時間の枠組みですが、ドイツ、イギリス、アメリカ、フランスなどと比べて意外なことに大差ありません。
しかし、この所定労働時間を超えるいわゆる時間外労働に対する日本の規制は甘く、欧州では所定時間を超える場合でも、1日の労働時間の上限を10時間、特別な場合でも
12時間までとしています。
また、労働日と労働日の間に休息時間を設けることについても、かなり厳正に運用されています。
これまで日本では一部の会社や運輸事業に限って休息時間についてルールがありましたが、ようやくこの点について国は制度化に向けた検討を始めています。
ここにも検討の余地がありそうです。

労使が雇用契約を締結し双方が誠実に義務を履行する労働という行為において、会社が従業員に期待するのは、拘束時間の長さではなく労働時間中の成果であることは疑う余地はありません。
最大限の成果を上げるためには何をすべきなのか、会社側がタイムカードで出退勤を管理するだけで従業員に最大の成果を求める・・・そんなうまい話があるのなら・・・夢のような話だと私は思いますが皆さんはどう思われますか。


前回まで、『5年後』をキーワードとしてお伝えしてきました。
今回は私たちを取り巻く様々なことについて『変えられない』と固く信じてきたことや、そもそも『変える対象である』ことすら思い付かなかったことが、実は『変えなければならないこと』や『変えることが最良の改善策』かもしれないという話です。

例えば個人事務所である矢島社労士事務所において、所長である私は『変える対象ではない』ように思えます。
13年余事務所の顔が変わらないのは、当然のようにも思えますが、デメリット部分が全くないとは言い切れません。
そこで○年後、有能なイケメン社労士に事務所の代表を譲り、私は一人のスタッフとして新所長のサポートに徹しているというシナリオを考えてみます。
永年のお取引で培ったお客様との信頼が崩れるリスクが最大の問題ですが、マンネリの打破や新たな展開の可能性は高くなります。

多くの人にとって『変えられないこと』をすぐに『変える』のは大変なこと。
私たちは本能的に『変えない』理由や『変えられない』言い訳を率先して考え、口にしてしまいます。
でも『変えなければならないこと』や『変えることが最良の改善策』だとしたら、何とかしなければなりません。
そんな時『5年後までに…』は、近すぎず、遠すぎず、言葉にするにはとても都合が良いと私は思います。

…続きは次号に


平成28年の【矢島のひとこと】では、将来の労務管理をテーマにして『5年後』をキーワードにしてお伝えしています。

今回は採用のために5年後の評判を作ることについて。
…と、書き出すと「えっ?評判ですか?」と意外に思われるかもしれませんね。
しかし、会社の評判って、いざ変えようとしてもなかなか変わりません。
以前に勤務していた経験からすると、高校卒採用に取り組もうとしても、地域での評判が上がらなければ、なかなか応募者は出てきません。
新卒の採用でしたら軽く10年を要すると覚悟した方がいいかもしれません。
新卒採用をあきらめて必要な人材を中途で採用しようと試みても、地域での評判が芳しくなければ、採用向けの広告宣伝費はまさしくお金をドブに捨てるようなもの。
広告宣伝費に見合う応募者数が得られない理由は世間の評判が悪いのかもしれません。
逆に地域内で良い評判を得ている企業には一度の求人広告で選考に困るほどたくさんの応募があります。

では、どうしたら良い評判が得られるのか。

一番の近道は現在勤務している社員さんに『私の勤めている会社は、本当に良い会社だ』と思ってもらえること。
そのためには、どんなことをすればよいか、じっくり考えてみることですね。
思い切って社員に質問してみるのもよいかもしれません
『あなたは御子息をわが社に勤務させたいですか?』


人事制度の構築を検討する場合、一番重要な点は「評価」だと思います。
「評価のやり方」、「評価の基準」、「評価の運用」などと言葉にすれば数文字であらわせますが、「御社の評価の仕組みはどうなっていますか?」とお尋ねすると、トップに一任であったり、長く見直しされていない評価表を出されたり、何もないという答えも多く明確な答えを返していただける中小中堅企業は稀です。

開業以来、私の事務所に大体年に数回、「人事評価のひな型をもらえませんか?」という話をいただきます。
お話を伺ってみると、ひな型を土台にして自社の評価表を作ろうとお考えのケースがほとんどです。
多分、時間的制約が理由なのでしょうが、この方法は目標へのアプローチとして、明らかに間違ったコースを進むことになります。
「評価の仕組み作りに形から入るケースでは、多くの場合、時間の無駄になります。」と時間を作ってお話ししていますが、私の力不足ゆえに正しく理解していただけることはほとんどありません。
しかし、将来を見据えたとき、評価の仕組みを作って難しいながらも運用ができるなら必ず良い結果が生まれてきます。

仕組み作りの最初の着眼点は「評価の仕組みを作る目的は何か」「この評価の仕組みを作ることで、5年後のわが社をどうしたいのか」をじっくり考えることだと思います。


先月号の「矢島のひとこと」では、日本の労働者の年間総労働時間は5年後には短縮が進んでいると予想しましたが、皆様はいかがお考えでしょう。

ところで「ブラック企業」という言葉をよく見聞きします。
このブラック企業とはどんな業種が多いのでしょうか。
製造業に多いとお考えでしょうか。
私は小売業やサービス系の業種の割合が多いと見ていますが、的外れではないと思います。

日本の製造業はトヨタ自動車に代表される生産性の高い企業が収益を確保して勝ち組となっていますが、小売業や飲食業でも生産性が高い企業が勝ち残っていると断言できるでしょうか。
私はブラック企業の多くが生産性追求ではなく、短期的な利益追求を優先するがために適正な人件費を軽視せざるを得なくなっていると見ています。
また、福利厚生や従業員の健康管理も当然軽視しなければ生き残れなかったわけです。

今後5年という時間軸で考えれば現状のブラック状態のまま、何も改善できない企業の多くが淘汰され、そして勝ち残った小売業やサービス業が何に取り組んだ結果勝ち残るのか…「労働生産性の向上」がその答えだと思います。

最近は人手不足だと言われますが、本当に人手が足りないのか、それとも人員配置や仕事の進め方に工夫が足りないのか、考えるための時間を掛けるべき問題だと思います。


先月号の事務所通信の私の「今年の景気予想」について、「無責任だ」とか「いい加減なことを書くな」といった類のご叱正を一つも戴きませんでしたので、黙認して戴いたものと勝手に判断し、今月からは『5年後の労務管理の形』つまりこれから労務管理はどう変わっていくのだろうかという、いわばトレンド予想を書いてみたいと思います。

初回は労働時間、これは私が今一番注目しているテーマなのですが、事務所通信の読者の皆様は将来の労働時間はどうなると思われますか。

私は【年次有給休暇の付与日数の増加】と【年次有給休暇の取得率は上がる】と予想していまして、これによって国民一人当たりの年間総労働時間は確実に減少します。
経済成長が低調であっても我が国の労働力の需給は、常に不足気味に推移します。
例えば外国人研修生や実習生は、名称や運用の形は違うものの本質的には労働力の需要に基づいて成立しています。
今後不足する労働力の調達は、日本人の長時間労働や休日出勤で補うよりも、外国人の労働力輸入で対応する傾向は今よりも強まります。
無論、現在一部の非正規労働者にしわ寄せがいっていますが、これも時間は掛かるものの是正傾向に進展します。
なかなか進まなかった日本の年間総労働時間ですが、今後5年で短縮が進むと予想しています。


2015年12月16日に米国のFRB(連邦準備制度理事会)が9年半ぶりの利上げを決定したのはご存知でしたか。
このニュースの後、今後の日本経済ついて二人の専門家がほぼ正反対の予測を述べていました。

言うまでもなく「経済」は私の専門外、どちらの予測にも『なるほどね』と納得するだけでした。

さて、そんな専門家でさえ正反対の予測をする今年の日本で、私が専門とする中小企業の労務管理にはどんな変化が出てくるでしょうか。
私は意外なほど大きな変化と、小幅ながら未来に大きく関係する変化の二つが出てくる年になると思います。

大きな変化とは大手企業の好調な業績がドミノ理論的に波及して、次第に中堅中小企業の業績がかなり良くなるのではないかということ。
大手企業から中小企業へ、あるいは都市部から地方への波及には当然タイムラグがあり、今年は好転の一年になると見ています。

もう一つの小幅な変化とは、労働時間数の意識的な削減に労使ともに取り組み始めるのではないかということ。
これには数多くの要素が複雑に関係しますから、顕著な変化というより転換点となるような気がします。

なお、これらはあくまでも私の趣味的な予測です。
間違ってもガチに信用しないでくださいね。

でももし予測が的中したら嬉しいので、おいしいものでもご馳走します。


2015年も最後の月となりました。
今年を振り返ってみると10月5日から『マイナンバー制度』がスタート(運用開始は来年1月1日)し、12月1日からは50人以上の事業所を対象としながらも『ストレスチェックの義務化』が始まりました。

この二つの事柄と企業経営の関わりを考えるとき、多くの中小企業経営者は「面倒な仕事が増えただけだ」と直感的な感想を述べられます。
しかし、この二つの新たな動きには、これからの日本人の志向すべきものが見えているような気がします。

『マイナンバー制度』は、少子高齢化社会の日本をどう維持していけばよいのかという問題への有効な対策のひとつになるものと確信しています。
ただし、制度自体はまだまだ不完全なものですから、これからの運用によって成否が分かれる恐れはありますが、行政手続きの簡便化と適正化のためには、重要な役割を果たすだろうと思います。

また『ストレスチェックの義務化』は、今後、日本で暮らしていくために労使が大切にしなければならないことは何かということ明らかにしました。
ストレスチェックという一次予防を義務化するということは、これまで明確ではなかった『労働者の健康を守るための労働条件を企業に確保させる義務』の存在を明確に示したものだと思います。

「面倒な仕事が増えた」と感じるだけでなく、なぜ始まったのかを一度考えてみていただきたいと思います。


『平成27年10月5日以降、通知カードが届きます・・・』と告げられていましたが、予想通りマイナンバーを記載した通知カードは、なかなか届かないようです。
私の事務所のある下呂市では11月20日頃の発送だそうですが、最近の政府系の広報には『11月末まで・・・遅くとも年内には到着します』というくだりもあるようです。

さて、通知カードが住民票を有するすべての国民に送付される・・・という話を聞いたとき、皆さんはどんな印象をお持ちになりましたか。
私は「そんな大きな計画が、この程度の周知だけで取り掛かって大丈夫なんだろうか」と正直不安を覚えました。

既にお伝えしてきましたが、マイナンバー制度は未来の日本の行政の仕組みを効率的に変革するために必要なツールのひとつです。
しかし、過去にも行政の変革に取り組みながら、国民の「不満」の声によって葬られた制度(例えばグリーンカード)は、いくつかありました。
今回も同じように立ち消えてしまうのでしょうか。

今を生きる私たち世代は、未来を担う若者や私たちの子や孫たち世代のために、マイナンバー制度を正しく動かす責任があると私は思います。
そのためには「不安」に思う気持ちから「不満」という気持ちにならないようにしなければなりません。

今一度皆さんに呼びかけて勉強しようと思っていますが、いかがでしょうか。


マイナンバー制度全体を眺めたとき、最も重要な手続きのひとつがマイナンバー収集時の「本人確認」です。
私のマイナンバーが示す人間が私であってこそマイナンバー制度は有効に機能します。全国民一人ひとりに付与される番号ですから、確認手続きが一人ひとり正しく行わなければ制度を運用する意味が薄れてしまいます。

会社の場合、勤務している従業員の皆さんからマイナンバーを収集する作業の時点で、本人確認の手続きは一人ひとりについて、法律に定められたやり方で行う事が決められていますから、結果は同じてあっても会社独自のやり方は法律違反の恐れがあります。

また、マイナンバーを利用目的以外で収集し、あるいは保管することも違法となります。
事業所が複数ある企業では、マイナンバーを保管する部署と各事業所が離れていることがあります。
誰がどのような方法でマイナンバーを確認し、どのような方法で保管部署が保管するのかという手順は、社内で決めてマニュアルなどの文書の形にしておくことが必要です。
決められた担当者以外の者が取り扱い、あるいは決められた部署以外でコピーを取って保管することは社内の手順違反だけでなく法律にも抵触します。

会社で決めた手順に従って収集したマイナンバーは、正しく保管し、記載時の誤記に注意すれば何も問題は発生しないと思います。


「通知カード」の郵送開始1か月前となりました。10月以降、従業員のご自宅宛てに世帯ごとにまとめられた通知カードが郵便で届くことになっています。

通知カードが到着したら、会社はすぐにマイナンバーを集めなければいけない・・・

そう思われがちですが、実際の運用は早くても来年1月以降です。

中小中堅企業のマイナンバーの収集は、ゆっくりでも何ら支障ないと思います。
私個人の意見として言わせていただくならば、むしろマイナンバーの収集作業は来年以降で十分。
今月は8月号のこのページでもお伝えしましたが、従業員の皆さんに対しては、『通知カードは大事なもの』という周知で十分です。

もうひとつ大事な作業は、マイナンバーの取扱いの手順を、今月から取り掛かって年内を目途に決めてしまうこと。
マイナンバーの取扱い担当者や責任者、担当者の役割、権限、責任の範囲など必要なことを決め、そして、それを社内規程にまとめると良いと思います。

独立行政法人 情報処理推進機構(IPA)の調査結果を見ると、情報漏えいの8割以上が会社内の安全管理措置が整備されていれば防げたと思われます。
マイナンバー対応システムや専用機器の販売を目的とした広告が目につきますが、それよりも重要なことは、情報に対する社員認識と会社の組織が情報漏えい防止にきちんと対応できることだと思います。


最近、民間企業主催の「マイナンバー研修会」が、頻繁に開催されるようになりました。
こうした研修に参加することは無論有益ですが、企業の経営者様、管理部門の方々は、個々の企業が発信する情報だけに頼るのではなく、内閣府のホームページなどにアクセスして、番号制度の概要や民間企業の位置付け・役割等について、自分なりに内容を把握し、理解を深めることが大事です。

マイナンバー制度では国民一人一人に個人番号が付与され、その番号に関係しあるいは利用する企業、そして官公庁までが番号法という一つの法律で網羅されます。
対象となる国民はほぼすべてであり、国内の企業はすべて関係するという大変大きな法律ですから、不正な事柄が生じた場合に対しては厳しい処分(最高刑は懲役4年)が定められています。
しかし、個々の企業や企業の担当者が、故意ではなく不慣れなためマイナンバー等の情報を悪意のある組織等に盗まれた場合に厳罰に処せられる可能性があるかと言えば、ほぼゼロ(私の予想ではロト7の1等に2週連続で当選する可能性より低い)です。

しかし、ゼロではありませんから高額なシステム対応が有効かどうかと問われれば、「有効」であることは間違いありません。
ただし、効果を発揮する機会が訪れるのは天文学的に低いと思います。

個人番号の郵送開始まで残り2カ月の現段階で最優先に取り組むべきことは、個人番号が記載された「通知カード」が書留郵便で届くので大事に取り扱うよう周知徹底することだと思います。


今年の10月から皆さんにはマイナンバーが届きます。
正確にお伝えするならば、『行政手続における特定の個人を識別するための番号の利用等に関する法律』に基づく個人番号(マイナンバー)が、通知カードという紙のカードに記載されて、お住まいの市区町村から簡易書留を使ってお一人お一人に郵送されることになっています。

でも、多くの皆さんは、マイナンバー制が始まることについて、どこか他人事のようにとらえていて、ちょっと真剣味が足りないのではないか? と思っています。

「マイナンバー制なんてものは、実施直前に延期、そしてそのうちに中止になるよ」と、仰る方は珍しくないのですが、マイナンバー制を導入しようというそもそもの話を少しかじってみると、社会保障給付費を一番多く負担している私たち世代は、もっと真剣に考えなければならないテーマだとわかります。

ここ50年で社会保障給付費(健康保険、年金など)は40倍に膨らんでいます。
このままでは医療費削減や年金削減に厳しく取り組まなければならなくなります。
マイナンバー制の導入、定着、効果的な運用によって、私たちや私たちの子や孫
世代の将来の負担を減らそうという話ですから、決して他人の話ではありません。
マイナンバー制は『行政を効率化』し『国民の利便性』を高め、『公平・公正な
社会』を実現する社会基盤だと国は説明しています。

私たち働く世代や子や孫の世代の負担が増えないように、この政策には積極的に
関わる必要があると私は思います。