私事で恐縮ですが、平成28年の誕生日で満60歳、つまり還暦です。
平均寿命が長くなり、還暦を迎えることが殊更珍しくなくなりましたので、落語の世界の「悠々のご隠居」的な待遇などは許されるはずもなく、大半の還暦シジイと還暦レディは日夜当たり前のように働いております。
『せっかく還暦なんだから・・・』と家族に祝ってもらう場合でも、赤いチャンチャンコや赤い下着をプレゼントされ和気藹々(わきあいあい)賑やかな祝宴を家族みんなで楽しむのが通例となっています。
しかし、かつて50歳ぐらいまで生きられれば良かった時代には、60歳まで健康に生き抜いたことを大変目出度く感じていました。そんな時代の還暦と現代のそれとでは重みが違うと思います。
とは言え最近の同窓会では前回の同窓会以降の物故者に黙とうを捧げることから始まりますから、現役時代と変わらず忙しく日々を過ごしつつ健康で還暦を迎えられたことは大変ラッキーなことには違いありません。
さて、今からおよそ2,500年前の中国は春秋時代、この頃の魯の国に生まれた孔子とその教えを受けた弟子たちが残した論語の中に次の有名な言葉があります。
子曰く 「吾 十有五にして学に志し 三十にして立ち 四十にして惑わず 五十にして天命を知る 六十にして耳順い 七十にして 心の欲する所に従いて矩(のり)を踰(こ)えず」
この言葉に従えば、60歳は耳順う(みみしたがう、じじゅん)年齢です。
この「耳順う」とは「60歳では耳にどんな話が聞こえても動揺したり腹が立つことはなくなった」という意味だそうです。
つまり穏やかに生きられるようになったという意味でしょうか。
当然ですが世界三大思想家のひとりである「孔子」(※残り二人は、ソクラテスとニーチェ)の振る舞いや考え方を知っても、習って自分のものとすることなど到底できるとは思いませんが、せっかく、健康で還暦を迎えられたのですから、孔子の教えに従い「どんな話が聞こえても、動揺したり立腹しない」人間になれるよう心掛けたいと思います。